医学研究のための統計的方法 |
『医学のあゆみ』(医歯薬出版)
VOl.199 No.7 (2001年11月17日号)「書評」P508〜509に掲載 |
近年では医薬品の開発の国際的な調和いわゆるICHの流れのなかで、統計学の重要性に対する認識が高まり、資格のある生物統計家(qualified statistician)が医薬研究のデザインの段階から参画することが、要求されるようになってきている。あるいは欧米の基礎と臨床の一流の医薬ジャーナルでは、統計の専門家がレフリーとして審査するようになり、実験デザインと解析の双方の観点から、論文の質を統計学的に評価するようになっている。このように研究を計画・実施・解析する際に要求される統計学的な質に関する要求水準は格段に高まっている。
その1つの例として『The Journal of Thoracic and Cardiovascular Surgery』の論文投稿規定を紹介する。この雑誌ではホームページ上に統計に関するガイドラインを設けている。これは最近のジャーナルではそれほど珍しいことではないのであるが、この雑誌では論文を投稿する際には、規定の条件を満たした生物統計家が、研究のデザインと解析の統計的な側面をレビューして、記述が正確であることを保証するサインが要求されている。生物統計家の条件のなかには、生物統計学(あるいは関連分野)の修士または博士の学位が必要であることが明示されている。ところがわが国では、生物統計学科(アメリカでは主なものだけで20以上存在する)は、現在まで1つも存在しないのである。したがって、わが国の研究者がこのジャーナルに、論文を投稿するのはたいへん困難になっている。
筆者はある研究者から、この雑誌に投稿したいので、論文をレビューするように依頼を受けた経験がある。統計解析についてより適切な方法で解析し直した後、実験デザインに無作為化を行ったとの記述がありながら、実験群間で例数が大きく異なるのを不思議に思い、依頼者に問い合わせたところ、統計学的な無作為化割付け(乱数表あるいはコンピュータで乱数を発生させる)は行わずに、研究者がそのときの判断で適当に群分けしていたことが判明した。結局、筆者は無作為化割付けを行ったという記述を削除するのを条件に、不本意ながらサインしたが、論文は受理されなかった。このように解析段階とは異なり、実験デザインの段階での失敗はとり返しがつかず、仮によい結果が出ていたとしても、それは科学的evidenceとして評価されない。
科学的な研究を行ううえで、生物統計学の知識は決定的に重要である。複雑な問題のテクニカルな面は専門の生物統計学者に相談するとしても、すべての研究者は、基本的な生物統計学の原理を理解しておく必要がある。基本的な概念を知らなければ統計家と対話もできない。前述の例でも実験デザインにおける無作為化割付けの意義が正しく理解されていれば、統計的な手続きに則って、割付けがなされていたはずである。科学的に質の高い研究を行うためには、研究者は基本的な生物統計学の教科書を勉強すべきである。しかし残念ながら、これまで、医薬分野を中心に高度化する生物統計手法全般をカバーする、日本語で書かれたテキストは存在しなかった。
このようななか、本書『医学研究のための統計的方法』は、P.Armitage and G.Berry の名著『Statistical Methods in Medical Research』の邦訳であり、多くの現実の医薬研究事例に基づき、また医学研究で使用される広汎な統計手法と概念をほぼ網羅した、待望の日本語訳された生物統計学の教科書といえる。また本書は著者達が、オックスフォード大学、シドニー大学で医薬統計学の教育に従事した経験に基づいて、数学的な素養のない読者にも統計的な概念が理解でき、また多くの計算例によって具体的な計算の方法が明らかになるように工夫されている。本書の初版が出版されたのは1971年であるが、その後1987年、1994年と版を重ね、ベイス的方法、生存時間解析等の最近の話題についてもカバーされており、現在でも十分、生物統計学の最新の教科書として、そのボリュームと内容はいささかも色あせることはない。EBM(evidence based medicine)を実現するために科学的に質の高い研究が要求されるようになっているが、研究を始める前に、あるいは論文用にデータをまとめる前に、本書の該当箇所を読まれることを強くお薦めしたい。また、このような大著を翻訳された訳者の労を心からねぎらいたいと思う。
(京都大学大学院医学研究科薬剤疫学教室、浜田知久馬/はまだちくま) |